●入場無料
●月曜・火曜休廊 11:30~18:00 初日13:00〜。日曜日は16:00まで
作品・作家紹介
野田 九浦(のだ きゅうほ 1879年(明治12年)12月22日 - 1971年(昭和46年)11月2日)は、昭和時代の日本画家。本名は道三。「九甫」とも表記。祖父は漢文学者の野田笛浦。弟に脚本家の野田高梧がいる。
美々津浜卸船出図 野田九捕
略歴
東京下谷生まれ。4歳から父が税関長をつとめた函館で過ごし、函館商業学校で学ぶ。1895年に寺崎広業と共に上京し師事。1896年に東京美術学校日本画科に入学するが、美術学校騒動(岡倉天心排斥運動)により1898年に退学。白馬会研究所で黒田清輝に絵を学ぶ。正岡子規に俳句を学ぶ。1907年第1回文展で「辻説法」が二等賞受賞。同年大阪朝日新聞社に入社し、夏目漱石の「坑夫」の挿絵を描いた。大正6年まで勤務。
睨 望月春江
略歴
山梨県西山梨郡住吉村増坪(現在の甲府市増坪町)に父「宗正」、母「もと」の二男として生まれる。1908年(明治41年)に山城尋常高等小学校高等科(現在の甲府市立山城小学校)を卒業し、同年に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)に入学、卒業後、1914年(大正3年)に東京美術学校日本画科に入学し1919年(大正8年)に同科を首席で卒業する。卒業後は結城素明に師事するとともに、文部省大臣官房図書課の嘱託となり、1920年(大正9年)には東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の講師(後に同校の教授)となった。1913年(大正2年)には実践女子専門学校(現在の実践女子大学)の講師となり1932年(昭和7年)まで務めている。また、昭和42年(1967年)には東京純心女子短期大学(現在の東京純心女子大学)の教授となっている。 昭和46年(1971年)に勲四等旭日小綬章を受章、昭和50年(1975年)には山梨県特別文化功労者、昭和52年(1977年)11月には山梨県政特別功績者となり、昭和53年(1978年)3月には紺綬褒章を受章。昭和54年(1979年)2月13日、心不全のため東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院で永眠。
1921年(大正10年)の第三回帝展で《春に生きんとす》が初入選。1929年(昭和4年)の第十回帝展において《明るきかぐのこの実》が特選となる。1937年(昭和12年)には山梨美術協会の結成に参加し創立会員となり、1938年(昭和13年)には川崎小虎や穴山勝堂らと日本画院を創立。その後、1958年(昭和33年)には第十三回日展に出品した《蓮》により日本芸術院賞を受賞。日展審査員も務めている。
花鳥画を得意とし、後年には墨と金を用いた独特の画風を確立した。代表作には《菖蒲郷》、《香抽暖苑》、《寒月梅花》などがある。
山梨県立美術館が開館する前年の昭和53年(1979年)には、同美術館に代表作20点を寄贈するなど、作品の多くは同美術館に収蔵されている。また、同美術館においては、昭和54年(1979年)4月に「望月春江展」が、平成25年(2013年)には「富士の国やまなし国文祭記念事業 望月春江とその時代展」(開催期間・平成25年(2013年)4月27日-同年6月9日)が開催されている。(wikipediaより) 望月春江の「睨」は何度か池之端画廊に展示していますが、それでも見ていただきたい作品です!ぜひ生で迫力を感じてください。
お出かけの際にでもぜひお立ち寄りください。
次回の展示会は、6/8〜6/19 鹿取武司 庄漫 二人展 (銅版画)になります。
こちらも是非おねがいします。
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いつでも展示会の貸し出し等承っておりますので、ご相談ください。
金額やプランなどお客さまに合わせて対応いたします。
池之端画廊
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